Frank Ocean
channel ORANGE (Translator’s Letter) [翻訳者の手紙]
ここ数日、私はフランク・オーシャンakaフランク海洋君のことで、胸がいっぱいになったり、胃が痛くなったりするような思いをしている。事情は、こうだ。

6月21日、木曜日。タイムズ・スクエアの近くにあるKMAスタジオにて、『チャンネル・オレンジ』のリスニング・セッションが行われた。タイトルに合わせ、白とオレンジ色の椅子を配し、シャンパンをイタリアのオレンジソーダで割った特別カクテルを置いたバーをしつらえ、オレンジ色の花束まで飾ってあった。趣向を凝らしたパーティー仕様のセッションだったけれど、始まってみれば出席者は10名あまり、それも全員が「ガッツリのライターです」な雰囲気で、お仕事モード全開。はっきり言って、堅苦しい。主役のフランク君がラップトップを持って登場してもそれは変わらず、スマホを待ち合いスペースに置いて、機材のある部屋に入ってほしいとの指示もあった。
私の斜め前、腕を伸ばせば顔に触れそうな近さにフランク君は腰掛け、最初の曲から淡々とかけ始めた。爆音。音が大きすぎて、逆に全体がバランスよく聞こえない。メモを取る。両脇、後ろの人達もひたすらメモを取る。彼が注目を集めるきっかけとなった『Nostalgia, Ultra』より、曲のストラクチャーがはっきりせず、難解でアヴァンギャルドな印象を受けた。エリカ・バドゥの『New Amerykah, Part One: 4th World War』と、やはりそのリスニング・セッションの様子を思い出した。歌声に磨きがかかっていてすばらしい。語りかけるようなリリックも。西海岸の雰囲気がそのまま伝わって来る曲も多く、180度東に位置する、コンクリートでできたタイムズ・スクエアで聴いているのが不思議な気がした。シングル向きの曲が少ないかも、とレーベルの人みたいなことも考えた。「ロスト」と「バッド・レリジョン」でちょっとホッとする。「フォレスト・ガンプ」は違和感が残った。海洋君がフォレスト・ガンプかと思ったら、違うみたい。友情の歌?メモに「進化/深化している。でもこれは???」と書いてあった。

7月4日、独立記念日。アメリカ合衆国の誕生日。バーベキューだ、花火だ、と全米中が浮かれている最中に、インターネットを中心にニュースが駆け巡った。

"フランク・オーシャン、カミング・アウト"

びっくりした。件のリスニング・セッションで、私とは違って「フォレスト・ガンプ」を「男性から男性へのラヴ・ソング」だと看破したジャーナリストがいて、「フランク・オーシャンはゲイかバイ・セクシュアル」と指摘、噂になっていたらしい。それに答えるべく、フランク君は19歳の夏に愛した相手が男性だったことを、リリックと同じ美しい文章にして手紙の体裁で書き記し、タンブラーに掲載した。原文、拙訳とも本CDについているので、参照してほしい。もともと、昨年末に書いた文面で、CDに入れるはずだったらしいので、デビュー作でカミング・アウトするのは決めていたわけだ。私は、間抜けにもセッション後に本人に話しかけ、昨年のツアーで購入したタンクトップに「フランク海洋」と日本語で印刷してあったのを発端に、「海洋君」が日本のファンの間で定着しつつあることを、のんきに伝えた。彼は喜んでいた様子だったけれど、内心、「あ、この人は気づかなかったんだ」と拍子抜けしていたかも知れない。全く、申し訳ないことをした。翌日、東京経由で歌詞が届いた。改めて読んだところ、「彼/He」とあるのは2カ所だけ、「バッド・レリジョン」と「フォレスト・ガンプ」に一つずつで、気づかなかった出席者は私だけではないだろう、と少しホッとした。ちなみに、「Nostalgia, Ultra』で一番好きなラインは、「Songs 4 Women」に出て来る「彼女は俺の曲を聴くのを止めてしまった/俺の車でドレイクを大音量でかけるんだぜ」だ。このおかしくも哀しいリリックが実話なのかどうか、インタヴューできる機会があったら尋ねようとさえ、思っていた。先ほどの文章にも、女性とつき合っていたことも書いており、海洋君は19歳でその人に会うまで、自分が同性を愛するタイプだと気づいていなかったようだ。そして、今。彼のリリックをすべて訳し、手紙を読んだ後では、報われなかった初恋があまりにも苦しくて、それに関する曲をなるべく正直に、相手に届くように書くことが、カミング・アウトして「秘密がなくなって自由になる」ことと同じくらい重要だったのでは、と思ったりしている。

私自身は、フランク・オーシャンという、10年に一度出るか出ないかの逸材が、この件でばかり持ち上げられるのを、不満にも不安にも思っている。大切なのはそこではない。だが、この非常に個人的な事件が、同性愛をタブー視するヒップホップ/R&Bというジャンル、もといブラック・カルチャーにおいて初めて公に認めた点で、歴史的な転換点と見る向きがたくさんいる理由もまた痛いくらい理解している。黒人で同性愛者というのは、二重の意味でマイノリティーだ。今までは、絶対に言わないことだったし、私も何かの拍子で気づいたとしても絶対に書かなかった。ハリウッドが発信する作品を見ている分には、アメリカは同性愛に対してオープンな気がするだろうが、大多数のアメリカ人はクリスチャンで、保守的だ。オッド・フューチャーの紅一点、シド・ザ・キッドもすでに同性愛者であるのを公言しているが、彼女の場合、ファッションからしてストレートだと思っていた人の方が少ないはずだ。オバマ大統領が次期大統領選に向けて同性婚を支持する方針を打ち出し、CNNの看板キャスター、アンダーソン・クーパーがカミング・アウトしたばかりなのでタイムリーではあるが、アーティストとしてのイメージに関わるという意味ではリスクは高いままで、とても勇気のある行為だ。仲間のタイラー・ザ・クリエイターや、曲を提供してきたジェイ・Zやビヨンセがすぐにフランク君を支持するコメントを発表し、所属するデフ・ジャムの元々の創始者、ラッセル・シモンズに至っては声明文を出す騒ぎになっている。

7月10日、火曜日。この一連の動きを受けて、海洋君サイドはUSでの当初の発売日より1週間早くiTunesで本作を発売、みんなを驚かせた。夜のトークショウ番組『レイト・ナイト・ウィズ・ジミー・ファロン』に登場し、ザ・ルーツをバックに「バッド・レリジョン」を披露、翌日、10カ国のiTunesで1位を獲得する快挙を果たした。

その翌日の11日に、これを書いている。独立記念日からちょうど1週間、オッド・フューチャーの名前さえ知らなかった人達が、フランク・オーシャンについて、『チャンネル・オレンジ』について、語っている。たぶん、いいことなのだろう。私も落ち着いて、アーティストとしての彼をもう少し掘り下げたい。フランク・オーシャンことクリストファー・フランシス・オーシャン(改名後)ことクリストファー・ロニー・ブリュー(元の本名)は、ルイジアナ州ニューオーリンズの生まれ。ハリケーン・カトリーナが故郷を襲った後、音楽のキャリアを追い求めるべくロサンゼルスに移ったらしいが、逆算するとまだ16〜17歳だ。ソングライターとして活動しながら、プロデューサーのMidi Mafiaやトリッキー・スチュワートと交流を深め、シンガーとしても活動開始。この頃のプロダクションは『ザ・ロニー・ブリュー・コレクション(The Lonny Breaux Collection)』としてまとめられ、インターネットで出回っているので、興味のある人は聴いてみてほしい。未発表曲集とは思えないほど質は高いのだが、わりと普通のR&Bをやっていたことも分かる。08年にはジョン・レジェンドの『Evolver』の「Quickly」と、ブランディの『Human』収録の「1st & Love」にクリストファー・ブリュー名義でソングライティングに参加している。「Quickly」はブランディがフィーチャーされているので、彼女がジョンに紹介したのかも知れない。どちらにもフランクっぽい言葉遣いが散見されるが、特に「1st & Love」の方は合いの手やちょっとひきずる感じ、「1丁目と愛の交差点」という言葉がフランク印であり、元々彼が書いた曲のような曲がする。09年にはティーン・アイドルのジャスティン・ビーバーの「Bigger」にもペンを貸している。
シンガーとして芽が出て来たのは09年、オッド・フューチャ一に加入し、トリッキー・スチュアートがデフ・ジャムに紹介したあたりからだ。オッド・フューチャーaka「奇妙な未来の狼ギャングが皆殺し」について、この作品を手にしている人にどの程度説明の必要があるか迷うが、ロサンゼルス発のヒップホップ・クリエイター集団で、音楽性だけでなくネットを駆使してカルト的なフォロワーを増やしたビジネス・モデル自体が次世代、という点は指摘したい。ライヴにパンク・ロックの要素があったり、「ホラーコア」と呼ばれていたりもする。R&Bをベースとするフランク君にとって、「オッド・フューチャーー派」という肩書きは、却って彼の音楽性を見据えるのを曇らせるのでは、というおせっかいな心配もしているが⸺私自身、ライヴを見るまで先入観を持っていたので⸺、オッド・フューチャーはあくまでタイラー・ザ・クリエイターがブレイン・チャイルドであり、その彼が海洋君を「兄貴分」と思っている節がある以上、いい感じでお互いを助け合う関係を保つような気もする。人を喰ったようなユーモアと独自の美意識を持ち、既存のシステムに対する不信感、コカインなどドラッグについての言及が多いのは、完全に被っているし、2011年のタイラー君の「She」のビデオを見ても、カンボジアの船頭さんみたいな格好をして夜中の庭にたたずむフランク君は、皆殺し一家にすっぽりハマっている。同年は海洋君のソロ活動が注目を浴びた年でもあり、ジェイ・Zとカニエ・ウェストの『Watch The Throne』の「No Church In The Wild」と「Made In America」にソングライターとして参加、コーラスも歌い、同ツアーにも地域によっては登場した。ソングライターとしての決定打は、ビヨンセの最新作『4』の「I Miss You」だろう。この曲を最初に聴いた時の、震えるような衝撃を私は忘れない。言葉の一つ一つはシンプル、砕けた英語も目立ち、「会えなくて寂しい」と歌っているだけなのに、切なさで息苦しくなるほど。ビヨンセは、初めてこの曲を聴いた際、涙を流したと言う。出来過ぎな話だけれど、真実だと思う。ビヨンセが歌うとどうしてもジェイ・Zの顔が思い浮かび、忙しいカップルが会えない辛さを歌った曲かと勘違いするが、よーく聴くと誰かを思う辛さは、相手が誰でも、一緒にいようがいまいが関係なく、それがすべてでしょう、と歌っている。つまり、フランク君の手紙に記された恋愛の別ヴァージョンなのだ。狂おしいほどの切なさの理由が、1年ほど経って分かった。

『チャンネル・オレンジ』には、その19歳の初恋、そして失恋に関する曲がいくつかある。「フォレスト・ガンプ」と「バッド・レリジョン」、そして「シンキン・バウト・ユー」だ。「シンキン・バウト・ユー」は、当初、ロック・ネイション所属のブリジット・ケリーのために書いた曲で、ジャスティン・ビーバーまでカヴァーしたくらい、誰もが共感できるクラシックだ。フランク君は延々と自分の恋愛体験を曲に焼き付ける伝統的なR&Bシンガーに留まらず、小説家のように曲でショート・ストーリーを語るのも得意だ。登場する情景、人物にはパターンがある。ファレル・ウィリアムスがプロデュースに参加している「スウィート・ライフ」や、オッド・フューチャーのアール・スウェットシャートが参加した「スーパー・リッチ・キッズ」はカリフォルニアの高級住宅街での退廃した生活が描かれる。「スーパー・リッチ・キッズ」は、F・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』や、ブレット・イーストン・エリスの『レス・ザン・ゼロ』を彷彿とさせ、主人公はハイになり過ぎて屋根で足を滑らして墜落死してしまう。「ピラミッズ」は、エジプトの女王の話からヒモを養っているらしいストリッパーの話に転換し、「ロスト」の登場人物はどうやら国際的なドラッグの売人らしいし、「パイロット・ジョーンズ」ではドラッグを女性になぞらえる、ロックやレゲエにもよく使われるメタファーを採用、「クラック・ロック」はクラックをやり過ぎて廃人になる話だ。ただし、NYタイムズ紙の記事によると、フランク君は子供の頃にドラッグ中毒だった祖父のリハビリ集会について行ったという壮絶な過去があり、「ツアー中のハッパ(マリファナ)は禁止」とツイートもしている。舞台が反転するように、曲中でシチュエーションを変えるのも得意で、前述の「ピラミッズ」ほか、オッド・フューチャーのツアーの様子を切り取ったような「モンクス」は途中から派手な逃飛行の話になる。効果音やインタールードの使い方も秀逸。『Nostalgia, Ultra』はカセットをガチャガチャ言わせ、本作は家庭用ゲーム機を立ち上げる音が入っている。
本作はかなりの割合でフランク・オーシャンのヴィジョン、思考、ミュージシャンシップを形にしたものだけれど、助っ人もきちんと存在する。右腕となって全面的に楽器を操ったのはプロデューサー/ライターのジェームス・ライアン・ホーであり、ベテラン・ソングライターのシア・タイラーや元アンダードッグズのジェームス・ファウンテレロイのクレジットもある。ゲストはアンドレ3000に、ジョン・メイヤーがギターで参加と豪華だ。ララ・ハザウェイもバックコーラスをつけている。曲の大部分はハリウッドの歴史的なスタジオ、イーストウエスト・スタジオで作られ、そこにある古い機材を好んで使ったという。このアルバムの根底に、ノスタルジックな西海岸、もしくはアメリカのムードが流れているとしたら、録音状況にこだわったせいだろう。インタールードの「ファーティライザー」はセサミ・ストリートのテーマ・ソングみたいだし、フランク・オーシャンは、意識的にアメリカ的なものを切り取るのが上手な、とてもアメリカ的なアーティストだとも思う。

とは言え。『Nostalgia, Ultra』に収録された「American Wedding」がイーグルスの「Hotel California」をそのまま使っていて、大御所から文句が出ていた最中に、ステージで人気ヴィデオ・ゲームで遊んでいるフリをしながら歌い、イーグルスのヒット曲というより、ゲームに入っている曲として気に入ったことを暗に示したような人である。私を含めた様々な人が、自分の作品を大真面目に分析し、語るのをどこかで笑っているかも知れない。ちなみに、本作のエグゼクティヴ・プロデューサーは、愛犬のエヴァレストだ。

最後に、昨年11月のツアーの様子を記しておこう。オープニングはシャーデーの「By Your Side」。時折、キーボードを弾きながら、自分の曲やら、「I Miss You」やらを歌いまくっていた。正直、ものすごい歌い手だとは思わなかったが、強烈な歌心の持ち主だと感心した。それは、どんなに勉強しても身に付かないものだ。一連の騒動、タイミングを見ても、彼は音楽の女神に寵愛されている人であるのはまちがいない。フランク・オーシャンは、まだ24歳。正規の作品はこれが最初で、本人も書いているように「これからどうなるか分からない」面もある。ひょっとすると、様々な意味で「早すぎる人」かもしれない。だが、この未完成だからこそパーフェクトな『チャンネル・オレンジ』で、セクシュアリティー云々ではなく、人が人を想い、愛する色は同じだと鮮やかに示した功績は、この先ずっと残るはず。その意味でも、本作は重要な作品である。しばらく、彼が設定したチャンネルに合わせて、オレンジ色の世界を堪能したい。

Enjoy.
池城美菜子/Minako Ikeshiro